petit bonheur

知らなかったこと、知りたかったけどあまり気にしていなかったことなど、ちょっとした知識や情報は、日常生活のエッセンスとなり、ささやかな幸せを生み出すと信じて、日頃見聞きしたへーっと思ったことをまとめています。

4歳の子どもがピアノの練習を嫌がる。でも無理やりやらせちゃう。

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4歳になってからピアノを始めた。
 
はじめのうちは、本当に喜んでピアノの練習(我が家ではピアノあそびと呼んでいる)をしていた我が家の4歳児。
最初のレッスンでは先生に緊張していたのか、レッスン中もとっても集中していたのに、最近ではレッスン中落ち着きがない。
 
家でもピアノの練習をなかなか始めようとしない。ピアノの前に来ているにもかかわらず、おもちゃを持っていていて、しつこく遊び続けている。
 
何度も「練習しようよー」といい続け、しばらくたつと、ようやく練習を始めてくれる。
でも、投げやりで、カウント(4拍子の曲なら、1,2,3,4のこと)もあわただしく(適当な感じて)口にして、その勢いで練習曲を弾き始める。
 
その瞬間、子どもにとっての試練が襲い掛かる。
 
最初の難関は始める手だ。
右から始める曲なのに、左から出てしまう。
 
そして歌。(弾くときは声を出すことが基本)
音階で歌って欲しいのに、何度注意しても歌詞で歌ってしまう。
 
そして指。
右手の親指(1の指)で4回弾くところ、途中左手の親指(1の指)で弾いてしまう。
 
そうこうしていると、ようやく本人が間違いに気づき、わぁーっとなって、苛立ちをあらわにする。
 
そしてもう一回。
 
今度は間違えないように、親も一緒に歌ってあげようとする。
すると、やめて!と制止される。
 
邪魔されたくないのだ。
 
運よく最後まで弾けたら、、、
またしばらくお遊びの時間になってしまう。
子どもの集中力はこの程度だ。
 
毎日これの繰り返しである。
 
本当のことを言えば、当初は、子どもが嫌がるのにピアノをやらせるのは違うんじゃないかと違和感を感じていた。
楽しみながら向上していって欲しいと本当に思っていたからだ。
 
しかし、ピアノは、(楽しいに越したことはないが、)楽しみながら向上していくなどという単純なものではなかった。
自分も子どもの頃にやっていたのに、そのことを忘れていた。
 
新しい曲をやるとなると、たいていは最初からうまく弾けることはない。
弾けないときの辛さ、苦しさというのは、いくつになっても変わることはないように思う。
 
ましてや、子どもはまだ4歳なのだ。
弾けないときの、(わーっとなる)自分の感情に対処することだって大変だろう。
 
悔しいと思っているのか、なにくそと思っているのか分からないが、とにかく、わーとか、いやだとか、疲れたなどのネガティブワードが出てくるので何が起きているかはすぐに分かる。
 
そこを、うまくなだめすかして、最後まで何とか弾けるようにしてあげる。
そのときの子どもの表情は、満面の笑みで溢れている。
辛いけど、できたらやっぱりうれしいのである。
 
どーにか、こーにか、最後は満面の笑みで終わるパターンに持って行きたい。
 
子どものピアノに何を求めているのか。親それぞれによって異なるだろう。
 
ピアノの技術の向上、コンクールでの優勝・入賞を目指している親子もいるだろうし、マイペースでテキストを終わらせることで満足感を得られている子どももいるだろう。
 
これはそれぞれのレベルや、家庭での親の考え方によって異なると思うが、いずれにせよ、困難を克服する経験を通じて、ピアノの上達だけでなく、人としての成長につながっていくところが最大のポイントのように思う。
 
とすると、ピアノの練習はつまづいて何ぼということか。
 
こう考えてくると、この(子どもがピアノを嫌がるという)テーマは、ピアノの練習を嫌がるわが子にどうしたら練習してもらえるようになるか?ではないのかも。
 
ピアノの練習を通じて、どうやって、(これから生きていく中で必ず遭遇することになる)「困難」と向き合いどう克服するかということが、大きなテーマとして隠されている(隠されていない?)ように思う。
 
4歳の子どもにどうしたらピアノの練習をさせることができるのかというのは表面的な課題であって、本質的には、困難を克服する課程をいかに親がサポートしてあげられるのか、という問題意識に変わってくるように思う。
 
なので、毎日練習させ、トライさせて、うまくいったところがあれば褒めて、また翌日の練習につなげていくということが、今、親に求められているのかな、と思いながら、明日からも(自分を奮い立たせて)子どものピアノの練習に寄り添っていきたい。